三塁を蹴る

140字以上書きます

乳首の位置を当てられたら藤原基央っぽく叫ぶというゲームをしてたら朝がきた

ぼくは小中学生のころ、同年代の子らと比べて圧倒的に読書をしていたほうだと思うのだけど、読んでいた本はといえば、父親の読んでいた「東海林さだお」やら「大沢在昌」やら「阿刀田高」とかいった、かなり俗で、いかにも40代のオジサンが読むようなものだった。

たまに、あのころにもっと名作を読んでおけばよかったと後悔する(そして親へ非難のまなざしを向ける)ときもあるのだけど、最近はこれでよかったと思っている。

なぜなら小中学生で名作を読んでいたやつらはゴマンといるだろうが、「東海林さだお」やら「大沢在昌」やら「阿刀田高」やらを読んでいたのは日本中でぼくともう10人くらいしかいなかっただろうからだ。

そしてそれこそがアイデンティティの形成だったんだろう。当時のぼくは大阪万博の月の石の展示は何分かけて見るのが正しいのかとか、新宿歌舞伎町で日夜繰り広げられるマフィアとヤクザの抗争とか、偏執狂の愛が殺人に至るまでとか、そんな思想や物事が街の外の世界に拡がっているという認識だった。

 

なんかここまで書いて、なにを書こうと思ってこれを書きはじめたのか忘れてしまった。こっから新しく考えはじめる。

 

コミュニケーションのためのコンテンツ消費、楽しいけどもうそろそろ飽きたし、願わくば時代も飽きる方向に向かっていってほしい。一対一で向かい合うに足るようなものに囲まれて小宇宙を漂うようにしていきたい。

 

子供の頃は時代の文脈関係無しに、物理的に近いものから消費していってたというのがオリジナリティの源泉!って感じで最強だった。祖父母が、本は手あたり次第に乱読しろとよく言っていたけども、それが良い。

 

自分の興味関心に沿って色々やっていくのはしばらく楽しいけど、やはりどこかで脱線しないとつまんない。いかに自分が脱線できるように線路に石を置いていくかが大事だと思う。それもできることなら無意識のうちに置きたい。

 

ヤフオクを「ジャンク品」とか「展示品」で検索するといくらでも脱線の石が見つかって楽しいからオススメ。Amazonでセール品を見るのもいい。ザッピングだ。本屋をフラつくんだ。

 

本屋でフラつく! これはとても大事だ。まあ図書館でもいいんだけど、本屋の方がゴチャゴチャしてていい。

 

本屋でフラつくように生きていきたいのに