三塁を蹴る

140字以上書きます

でも今日のことは、忘れないでくださいね。

死ぬことがこわいのは、その瞬間に「すべて忘れてしまう」からじゃないだろうか。

 

少し前に見覚えのないアカウントからLINEがきた。

「突然の連絡ごめんなさい! こちら千代田くんのLINEで間違いないでしょうか?

中学のとき同じクラスだった〇〇です! 昨夜、なぜか千代田くんを夢で見て、それからどうしてるか気になりすぎて色々なことが手につかないので、同窓会のグループから、それっぽい名前に連絡してみました。」云々。

 

中学三年生のとき同じクラスだった女子だった。当時のぼくは社交的とは程遠く、女子は一部の仲良い人としか話してなかったことを差し引いても、その子とはほとんど接点が無かったといっていいと思う。つまり互いに互いをモブと思うような位置関係だったと思う。

 

だから驚いた。そしてとても嬉しかった。たまたま夢で見ただけでも、少しでも自分に想いを巡らせてくれた人がいたということに、本当に勇気づけられた。

 

ちなみにぼくはしょっちゅう楽しい夢を見るのだけど、そのほとんどで誰かしら友達が登場してくる。その友達というのも色んな時期、場所から自在に飛び入ってきて、夢で見て、ああそういえばあんなやついたなあと思いだすこともしきりだ。

 

そんなときは、起きてから1分くらいはそいつのことに想いを巡らせてみる。わずかに一分だけ、それも、どんなやつだったけなくらいのものだけど、確かに想っている。それはもう祈りといってもいいんじゃないか。

 

例えばぼくが小学校から高校までの卒業アルバムを引っ張り出してきて、同じクラスだったみんなの顔写真を見ながら一人ずつ、一分だけその人についての記憶を呼び覚ます。それだけで、その人を生かすことができると傲慢にも思う。その人からしたら余計なお世話というか、そんなことしてるってことも知らないから本当にどうでもいいことだろうけど、きっとみんな知らないうちに、誰かにそんなふうに祈られて、それで生きられているんじゃないかとも思ったりする。いや思ってない。そんなことはさすがに非科学的すぎるし、文学的すぎる。

でもそうだといいなとは思っている。

だからときどきみんなのことをちゃんと思い出しています。

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