三塁を蹴る

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二月の十日間(の孤独)

なんで自分は十日間の孤独なんて酔狂をしにいかなあかんのかと最近になって問い始めた。それより免許合宿に行くべきなんじゃないかと、もう人生で免許をとれる機会なんて無いのかもしれないんだぞと。実際友達もみんな口を揃えて免許を取るべきだという。いや、免許を取れよコノヤロウといった剣幕でさえある。それは俺が無免許にも関らず「旅人」などというドライブの会を主催しているからかもしれない。ありがとうみんな。

十日間の孤独か、今年に入ってから毎日続けている日記を開いてみると、今日までの十日間は毎日誰かと会っていたらしい。本当に?

後輩、和カツ三枚美味しゅうございました。公演お疲れ様でした。

友達、担々麺美味しゅうございました。また会いましょう。

友達、ジンギスカン美味しゅうございました。楽しい撮影でした。

内定同期、鍋美味しゅうございました。これからもよろしくお願いします。

友達、スシロー美味しゅうございました。人生で一番楽しいスシローでした。

友達、油組美味しゅうございました。また誘います。

友達、ピザ美味しゅうございました。こたつは最高です。

友達、沖縄そば美味しゅうございました。仕事後にありがとうございました。

友達、スコーン美味しゅうございました。興味深い話ができました。

友達、和風パスタ美味しゅうございました。変わらなく安心しました。

友達、汁無しラーメン美味しゅうございました。頑張っていきましょう。

 

こうしてみるとまるで友達が多いみたいだし、しかも実際に多いのかもしれない。俺は人間が好きなのでこうなる。しかし……それでも、その愛情を伝えきることができない。もどかしく思う。下手である。いやはっきりいって怖い。

自分は小学校三年生の秋にそれまで五年間ほど暮らしていたシンガポールから千葉に引っ越してきた。そのときに上手く笑うことができなくなって、それから中学校に上がるまで(中学校に上がるタイミングでまた引っ越ししたのだけど)ずっと笑い顔を腕で隠していた。人前で笑うことがとてつもなく恥ずかしいことだと感じていた。いまではそんなことないが、たまにフト、自分の表情が気になることがある。ちゃんとこの顔で、気持ちが伝えられているだろうかと不安になることがある。

去年は、できるだけたくさんの人にできるだけ愛情を――多くの場合やさしさという形をとって――伝えようとしてきたけれど、これが歪に伝わった結果、相手を損ねることになってしまったんじゃないかと思うことがあった。やさしくして友達を失うことほど悲しいことはない。しかしもう、どう愛情を入力すると正しく出力されるのかわからなくなってしまった。大学に入って役者を五年間やって、少しは表現がうまくなったかと思ったが本質的なところは笑えない小学生の頃とあまり変わっていなかったのかもしれない。いやあまり悲劇的になるのはよそう、うまくなったのだけれど完璧ではないということだ。しかしその僅かなブラックボックスが怖い。怖くなってしまった。

そこで人との付き合い方をゼロから再構築したいと思った。全てのコミュニケーションを実感を以て積み上げなおしてみたいと思った。そのためには一度完全に孤独にならなくてはならない。だからもしかしたら十日間でも短いかもしれないくらいだけど、またショックを受けて笑えなくなるのも嫌なので、このくらいで勘弁してほしいと思う。